Makiさん三昧.....。

ここ数日、Carmen Maki三昧。

い〜なぁ、しんみりするなぁ。

.......特に浅川マキさんのナンバーを中心に(=^x^=)〜♪

あ、『ジェルソミーナ』は、浅川さんではないですけどね。(=^x^=)

んで、まあ、二人とも寺山修司関係でデビューしてますが、よくカルメン・マキさんは、浅川マキさんのナンバーを唄ったなぁって、気になったので、あれこれ、検索してみた。

そしたら、カルメン・マキさん自身のブログに記述が。

『7/31 新澤健一郎君のリーダーバンド「Nervio」を初めて聴いた。
今回はレギュラーメンバーのヤヒロトモヒロさんの代わりに仙波清彦さんがパーカッションだった。そのせいかCDとは大分違った印象。まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドで大いに楽しませてもらった!

3曲目の演奏途中、後ろからポンと肩をたたかれたので振り向くと、なんと浅川マキ姉さんだった。隣接するリハーサルスタジオに居るというので休憩時間に行って話をした。
大マキさんのお宅にお邪魔して、随分長いこといろいろお話ししたのは何年前だったかしら?・・・本当に久ぶりの再会だ。

私が初めて「浅川マキ」を観たのは、私が「時には母のない子のように」で歌手デビューする直前の1969年の冬、今は失きあの伝説の「新宿アートシアターギルド(ATG)」の地下「蠍座」だった。あの時の衝撃を私は多分一生忘れないだろう。その少し前に出会った天井桟敷の芝居「青髭」や、その少し後に聴いたジァニスの「チープ・スリル」、ジミ・ヘンドリックスの「Are You Experience?」と同様に、それはその後の私の人生を変えるきっかけとなるものだったと言ってもいい。
だから怖れ多くも「かもめ」を歌うことには当然、随分と勇気が要った。浅川マキファンに申し訳ない、比べられるのではないか、などと悩み、自信もなかった。けれど、そんな私を後押ししてくれたのは意外にもマキさん本人だった。「あの歌を歌えるのはマキしかいないでしょ」大マキ姉さんにそう言われて、私は安堵したと同時に、ただ好きで歌いたかっただけのあの歌が私にとって、もっと大きな意味をもつようになった。
他人の歌を歌う場合、比べられてもしょうがない、下手でもいい、それよりもその歌を大切に育て自分のものとして消化していくこと、そして良い歌を歌い継いで行くこと、残して行くことこそが大事なのだと。

ライブ終了後、帰り際に挨拶をしに又スタジオに寄った。
11月の新宿PIT INN、ドラムのセシル・モンローとのDUO公演の、出来上がったばかりのチラシをいただいた。
7月には向井滋春さんとのDUOがあった。とても元気で積極的に活動していることを知って嬉しくなった。
大マキ姉さんとは喋り出すと話が尽きなくなる。1度、電話で話しながらワインを1本空けた事もある!!!
今日も久ぶりに会って、時間が許せばもっとお話したかったのだけれど・・・。
今度はいつ会えることやら・・・又どこかで元気な大マキ姉さんに再会したい。』